バドミントン

これで、ポジショニングが歪むことを表現するために
pfff
pffr
pffl
pfrr
pfll
pbbb
pbbr
pbbl
pbrr
pbll
prrr
plll
fに対してb、rに対してlが相互に後続するとキャンセルされる。つまり消去されるというキャンセル規則を追加する。
例えば、
pfffbとなればpffとなるし、pffrに対してlbbとなればpに戻ることになる。
しかしこれだと、fの後にbがついてしまいまずいのではあるが、最初から、限定しないでも別によかったようだ。要するにfの後にbがきてみいいよとして、来た場合はキャンセルになるだけのことだ。
rも同じで、rのあとに何が来てもいいがlがきたらキャンセルとなる。
こうやって、キャンセル後にポジショニングを表せば、ポジショニングにゆがみを表すことが出来る。つまり、ホームのポジションからのゆがみが明白になる。これは、ある程度上手いプレイヤーには身についている感覚でことさら規則にするほどではないが、一応感覚的「ポジショニングのゆがみ」とか「ぎくしゃく」とかいった印象を分析的に描写できるメリットはある。こういう風に言葉が定義できると経験がファイルされやすくなり、それなりのメリットはあるように思える。
とにかく、ラリーの継続によりこの現状のポジショニングにゆがみがが蓄積され、ギクシャクし始め、勝負が決まる。
この当たりをうまく示せるといいのだが。

バドミントン

これで、攻撃された場合の方向を生成するように規則を作る。
まず、ポジションの歪みを三つ以上の記号列で表すとする。
ホームポジションをpとする。
2このpの跡に、f、b、r、lが後続可能である。
3fの後にはf、r、lが後続可能。
4bの後にはb、r、lが後続可能。
5rの後にはrが後続可能
6lの後にはlが後続可能
7後続は三つまで。
これにより、
pfff
pffr
pffl
pfrr
pfll
pbbb
pbbr
pbbl
pbrr
pbll
prrr
plll
が生成される。
12の「歪んだ」ポジショニングがあり得るのだ。
あまり意識していなかったが、確かにこの分類でほぼ全てを網羅しているように思う。
いろいろ考えさせられる。
クリアを上手くすれば、このポジショニングの歪みは解消される。
これは、p以降の項が削除されること、リセットされることに対応している。
バドミントンのプレイをこのように反省したことはないので、結構面白い。
運動している頭は、物事を単純化しているので、これよりはるかに少ない可能性しか気にかけない場合が多いと思う。
この反省をプレイ中に思い出すだけでも、結構気持ちが落ち着くのではないかと思う。
すくなくとも相手のプレイをファイルする棚はあるわけで、それができないことによる精神的な切迫感は軽減されるように思う。
こういう範囲でしか攻撃されないことは自明だとあらかじめ認識しておくことがじたばたプレイに余裕や見通しをあたえてくれるからだ。

バドミントン

「正確には、ポジショニングのゆがみの誘導がじたばたの前提になるわけだ。」
最初のポジションがまずある。
それに対して、攻撃を受けるわけだが、それがポジショニングの変更を伴わないで行われる場合とポジショニングを変更せざるを得ない攻撃とに別れることになる。ポジショニングのゆがみとは、当然このポジショニングの変更を伴う攻撃によってもたらされる。ポジショニングの変更は、前後、左右への変更になる。方向に対してf,b,r,lと方向に符号を決めておく。
バドミントンの場合三歩ぐらいでコート全体をカバーできるのはないかと思う。
だから、fffとかffrとかbblとか言ってポジショニングに変化を記述できるようにしておく。
通常後ろのバック側への攻撃(bl)は、一番警戒しているところだ。同じくらいに警戒すべきはこの後ろに対して対称の位置にある前のフォア側(fr)だろう。じたばた状態を回避するように警戒しているということだろう。
一歩ぐらいのポジショニングの変更は、ポジショニングの変更とはいえないので、これは除外すべきだろう。ただ、スピードが速い場合は、一歩(f,b,r,l)であってもポジショニングの変更であり得る。つまり、シャトルのスピードが速い場合、ポジショニングのゆがみが起きやすいともいえる。

バドミントン

「じたばた」を定義してみたい。
バドミントンで相手が崩れてくる場合、じたばたしてくる。自分の方がじたばたしてくれば当然負けは近い。
だから、勝つにしろ負けるにしろじたばたをしっかり定義しておく必要がある。
やろうと思ったのだが、これが意外にむずかしい。
それこそ、じたばたしてしまう状況になる。
勝ちパターンを抽出するためにもこの定義は必須だ。
とりあえず、やっとこさ追いついて、やっとレシーブしてとりあえず返しはするのだが、甘くしか返せないので、この事態が反復継続して起きることだといえる。
一連の攻撃に対して後手を引く嫌な展開でもある。
この程度の印象では、定義とは程遠いので悩ましい。
さらに細かく言う必要がある。
やっとこさ追いつくとは、守備範囲の外延に近い場所といえる。では守備範囲とは何か?守備範囲はシャトルのスピードが速い場合は狭くなるし、遅いと広くなる。だから、シャトルのスピードと関係して変化する
。一応、円で近似して誤魔化す。正確には体の真ん中とかバックはフォアと同等に扱えないのだが無視する。
この円周は、子供だとかなり狭いが上手い上級者だと当然広くなる。
さらに、ポジショニングにも守備範囲は関係している。真ん中にポジショニングしたり、ダブルスの場合にサイドバイサイドで守る場合には、ある意味コート全体が守備範囲に収まるといってもいい。
だから、何らかの意味でこの守備範囲が歪み、その上でその歪んだ守備範囲の外延への攻撃がこの「じたばた」の最初の一撃となる。
正確には、ポジショニングのゆがみの誘導がじたばたの前提になるわけだ。

バドミントン

いずれにしろ、単に打ち返すだけで三つの公理を満たす。そして、ひとつでも同じ公理を反復しているなら、同じことを反復しているとする。つまりどこかで単調になっているといえる。速さとか方向とか距離が同じだからだ。この同じものを3回以上繰り返すと「本当に同じ」とみなすことができることにした。
自分で公理を決めてはいるのだが、このように具体的に公理の適用を考えているわけではないので、実際に考えると「意外」な気持ちが湧き上がる。
努力しているつもりだが、どうも私のプレイは「単調」に陥っていることが明らかだ。
勝つためには、相手がこちらの戦略を予測してもらっても困るという側面もあるが、自分の方が夢中になっていて、自分の「単調さ」に気がつかないという側面もある。
例えば、相手の左側バックに二度長く弱くクリアすることを二回繰り返すそして、右に短くすばやい打ててはいない。これは、まず、そのとき思いつかないということもある。夢中になって「相手」に打ち返し気味になるのだ。特にすばやく打ててはいないので「決まらない」。つまり3回同じことをするのでしなかったに等しい結果になるということだ。
よく力のあるプレイヤーが滅多やたらと打ち込むのだが、そう強くもないということがよくある。体力と集中力を消耗して隙ができやすくなるからだ。これは、強さという単調さに陥っていることに気がついていないということではある。しかし、それより、そういう情報をファイルするファイルが存在していないという方が正しいだろう。
公理化するメリットは、この情報の収納ファイルをフレッキシブルに増築できるということにあるような気もする。
具体的なケースをさっとファイルし、必要な時にさっと取り出せるという能力が必要なのだ。
想像力というか創造力というかそういったものと関係している。
私がバドミントンで主張したがっているインスピレーションも公理的に考えると理解しやすい感じがする。
経験をファイルするための棚がないことには、経験は逆効果にしかならない気がする。経験すればするほど「余裕」がなくなり「自滅」するのだ。あるいは小さな勝ちパターンに執着して成長が止まる場合もあるように思う。
こうした問題を公理的なフィードバックで解消できれば面白い。
とにかく、バドミントンをもっと強くなりたいものだ。

バドミントン

ラリーの公理を変更してみた。
ラリーの公理の適用が3回を超えた適用は、二回とみなせるという公理に変更する。これにより、3回以上の例えばクリアー合戦になっても「矛盾」はしないが、「回数」がリセット可能になる。ここで、素数と似たような「基礎的戦略」を定義する。この「基礎的戦略」にはクリアー合戦の後、隙をついて別なパターンで勝つ場合を全て「同値類」として含ませることが可能になる。細かな工夫だが、これにより公理の制限を緩和して似た勝ちパターンを「定石」として描写可能になることが期待される。
具体的な現象を公理レベルの抽象に反映させるのは結構いい感じがする。昨日改良した公理を意識しながらバドミントンをしたら、何となく気持ちに余裕が持てた。
 精神論や心理学の応用も効果があるだろうが、こういう公理化も表面的な矯正や指導よりもフィードバックとして有効な気がする。
具体的なプレイのなかで、この公理を使えばこの抽象性に慣れてきて「応用」が利くような気がする。
昨日は、今までにない広くて高い視点からバドミントンが俯瞰できた気がした。ラリーの流れが見えた感じだ。これは、結構役に立つような気がする。
抽象的な思考は慣れると、むしろ個別のことに振り回されなくなり判断が早くなる。これがプレイに余裕を生むのだろう。昨日はなかなか愉快だった。自由な感じとか解放された感じがした。

バドミントン

「バドミントンの神学」の公理を改良してみた。
公理0
ゼロが存在する
公理1
神はこれを1増やす
公理2
神は二回連続して数を減らすことはない。

これで、神は最初の一点を先勝しこののリードを保って必ず相手に勝てることになる。
公理系が内在的で少なくなった。
よく横綱の強さを形容する時に「連敗」はしないですねというのを思い出して、公理にしてみた。
これも、プレイヤーの「強さ」あるいは「神秘性」の一側面を公理化できているように思う。
先手を取りリードを許さない。
先行逃げ切りタイプの「神」である。
競馬みたい!
公理でプレイスタイルをタイプ付けることが出来るという希望がわく。