バドミントン

抽象度の高いということを具体的に言えば、相手がバシバシきたら、バシバシ返してもいいのだが、こちらはひょいとかひょひょいのひょいで返すといい場合が多いという言い方になる。
私は、上級者にこの手で何度も翻弄された。
感覚的で幼児的な表現に思えるかもしれないが、そうでもない。結構奥が深いのだ。
これを抽象性と言ってみた。
この方向に「希望」がありそうだという期待に満ちているのだ。
決してその「正体」が全面的に現れる事は無い。
むしろ、ほとんどが潜在的なままに留まるという意味では、果たして存在しているのかさえ疑わしい何かがある。
体中に油を塗りたくっているのではないかと思える程捕まえづらい、朝青龍の身体のイメージとでも言えば、相撲ファンには納得していただけるだろうか?
あの「つかみにくさ」こそスポーツの抽象性を表している。
何としても「擁護」しなくてはならないと思っている。