試行錯誤(卵)

卵の大きさを変えると、中から予想外のものが出てきた。
最初は、ちゃんと黄身と白身が出ていたのだが、血が混じったり、ひよこだったり、それからカラフルな生き物、虫、声など。
同じ事をしていると飽きるので、眠くなる。
それが、このような結果を生むのか?
催眠のサイトを読んでいたら、いろいろな工夫がなされていた。
催眠術というと特殊だが、現実にはもうすでに洗脳、暗示は、世界に充満していると考えれば、広い意味では催眠状態が普通ではないかとも思う。
そういう意味で言えば、自己催眠というのは、こうした催眠状態から別の催眠状態へ「意図的」にシフトすることということになる。
それなりの効果があるのは、ある意味実証済みだ。
「祈り」に関して、どうも長いこと誤解していたように思える。
信教の自由を自己の努力、意志、無信仰と解釈するよう誘導されているようだ。
科学の成果を享受する生活の当然の帰結だが、科学もまたある種の信念であり信仰であることも事実だ。
科学的思考法の典型が、複雑で大きなものを小さい基本単位に分解し、それらの組み合わせとしてモデル化するというのがある。
これで、まあ大抵のものはモデル化できる。複雑なものに応じて、基礎単位を線形独立に「適当」に選ぶことさえできる。
ただ、問題もある。
こうしたモデル化が妥当かどうかは、また別問題なのだ。
事実、小さい単位にしたものの「不確定性」がつきまとい、何のために小さくしたのか分からなくなるといったことが起こる。
ひょっとして、最初に存在しているのは分割不能な「全体」ではないかという素朴な疑問が起こる。
宗教は常にその点を問題にしているように思われる。
だから、人は「祈る」のだ。