言語モジュールへの優先的アクセス権

まばたきだけしか使えない人でも、そのまばたきと言語モジュールを組み合わせれば、コミュニケーション可能だ。
意識と無意識との間でも同じことが言える。
聴覚というのは共有資源であるが、言語モジュールの方は、通常は意識が優先権をもって利用している。
だから、意識が無意識に対して一時的にこの優先権を放棄せざるをえない状況、放棄したくなる状況が出現すれば、無意識の方は、この言語モジュールにアクセスが容易になる。
思考が緩慢になり、リラックスし、想像している状態こそ、この意識が言語モジュールの独占使用権を一時的に放棄している状態なのだ。
呪文やお経の意味というか効果は、この利用可能な言語モジュールを意識に対して一部だけを利用可能にすることにより、大部分の言語モジュールを無意識に譲っているということだろう。
譲っているのは、言語モジュールだけではない。運動モジュールもイメージモジュールも感情モジュールもほとんど全てを放棄している。
こうなると主導権は、無意識が握っているといえる。
夢をみているとは、そういうことのようだ。
夢の中で、意識は裸で無防備であらゆるモジュールを奪われ、やられっぱなしの状態なのだ。
しかし、意識と無意識とはいつも資源を取り合っている仇同士というわけではない。むしろ、無意識は意識が棲みついている環境といった方がいい。
意識と無意識との間で、ワークシェアリングをしているのが普通だろう。
おおむね協力しあっているのだが、時にどっちが先かで揉めるということのようだ。
想像されたラジオのスイッチを入れるという楽しいモーエンさんのエクササイズをしてみると、このことが実感される。
意外な「声」が聞こえてくる。