脳死は人の死か?

心肺停止を人の死として定義していた時代があった。
しかし、医療技術の進歩のお陰で明らかに寿命は延びたにも関わらず、なぜか「人の死」自体は、以前より前倒しされ「脳死」時点で、もう「あきまへん」ということにしたようだ。
医療技術の進歩は人の死を先に延ばし、移植技術の進歩は人の死を前倒しにするものであるらしい。
皮膚由来のip細胞から精子卵子を作り出す技術が進めば、永遠の命が比喩ではなく、現実のものとなる。
明らかに「脳死」は、現在の移植医療という技術レベルの生んだ一時的な「人の死」でしかない。
軽い、かるい、カルイ、軽すぎる。
要するに移植臓器の供給、生産体制が貧弱ということだ。
思うに、こうした原料の安定供給に問題のある技術は、所詮開発段階の未熟な技術でしかない。
こうしたカードの出揃っていない技術を普遍的な確立した技術であるかのように思わせるのはいかがなものかと思う。