普通の決断

麻生太郎の下した解散総選挙の決断は、「普通」の決断である。
時間と状況に追い込まれ、自由度を失い、それ以外の選択肢が自然消滅した段階での決断ということだ。
常に追い込まれている、庶民には、馴染みの決断である。
「これ以外、ないじゃないか。しょうがない。」
だから、「そうする」。
状況の好転を待って、待って、待った挙句の最悪な時期における最悪の決断。
そういう意味で、生まれや毛並みの良さが強調される麻生首相だが、きわめて「庶民的」「宰相」であるといえる。
彼の「情けなさ」は、われわれ庶民の「情けなさ」に通じるものがある。
何度もの政治闘争を勝ち抜いたはずの男が、この程度であることに、驚きを感じるのは、私だけではないだろう。
政党には、プロとアマの政治家を選択するフィルター機能が必須だろう。
自民党のフィルターには、どうも大きな「穴」が開いているようだ。
世襲」ともいう。