コンクリートから人へ

民主のキャッチフレーズだ。
差し当たりコンクリートを「敵」にし立て、「人」を守るために民主は闘うという姿勢をアピールしていることになる。
公共事業から個人の財布へともいえる。
それほど「コンクリート」を悪者にしなくてもよさそうな気もしないでもない。
むしろコンクリートは明白に人を風や水や光から守ってくれているのだ。
冷静に考えればコンクリートは、まったく悪くない。
ただ、限度を超えた「コンクリート」の蓄積が、悪玉コレステロールのように感じられてしまったのではある。
しかし、悪玉コレステロールは生体の過剰なカロリー摂取に対する防衛反応なのだろうから、問題は「人」にある。
一見本質をついた分かりやすいキャッチフレーズには、毒がある。
このキャッチフレーズが、妙な「風評被害」を蔓延させるのはほぼ明白だ。
政治過程というものは、こうした過度の単純化を利用する。
逆にいえば、こうした過度の単純化が民主政権の崩壊要因になりうるともいえる。
確か脱ダムの田中康夫氏は、災害を防げなかったせいで落選したはずだ。