世界はどうあるべきか?

恐怖が集団の周辺を縁取り、この縁取りが、実は集団の求心力の正体でもある。
この縁取りが緩やかになると、集団は崩壊の危機を迎える。
この崩壊に対して、集団の求心力を増そうと集団内部から恐怖が生産される。
恐怖を背景にすれば、全てのことがは正当化される。
「正義」の定義のようなものだ。
一方、集団の崩壊は、恐怖への勝利でもあり喜びでもあるのだが、面白いことに新たな集団の構成にもなるので、恐怖は相変わらず新しい集団の周辺を縁取ることになる。
さらに「タチの悪い恐怖」が出現するだけのことだ。
この伝染性の皮膚病があるべき世界を考えることを不可能にしている。
私にはそう見える。