タバコ増税

タバコの生産、流通、消費にかかわっている人間にとって、タバコが高くなるとか、まして非合法化されるという話は、直接「ふところ」に係わる話であるし、既得権の侵害と感じられるだろう。
しかし、医学的議論からいえば、タバコには中毒性があり、癌の発症因子として明らかに「クロ」の判定が下る。
おまけに、周囲の人たちを巻き込むわけだから、「傷害罪」の適用さえ現行でも可能ではないか?
医学的に「クロ」なら、それは法律的にも違法性が強いと見なくてはならない。
人に害を及ぼすことを承知で、その行為をやめないにもかかわらず、何のお咎めもない。
当然、喫煙は違法行為として取り締まってもおかしくない。
ところが、喫煙は既得権なのだ。
長い喫煙の歴史を持っている。
例え本人にとっての健康傷害が証明されても、それは「自己責任」ということになる。
個人の自由なのだ。
しかも、周囲に対する傷害罪は、不問に付されてきた。
やっと最近、この重大さが認識され法律化された。
それでも、喫煙が違法行為であるという認識は薄いといわざるを得ない。
良識のある紳士が、人前でタバコを吸うということは、在ってはならないという時代がくるには、あと何年の月日が必要なのだろうと思う。

医学的、法律的「常識」が、「既得権」や「歴史」による抵抗に晒されるかというケースとして興味深い。

それとは別に、薬物汚染を防止するのに、単に取り締まり強化だけでは、役に立たないという事実もある。

人はどこかで「破滅」を求めている。
「快楽」を入口とする「破滅」は、どこか「誘惑」と似ている。
「死の本能」が囁くのだ。
医学的合理性では、飼いならせない怪物が今日もタバコを吸っているということだ。