権力の柔軟性と表現の自由

権力の柔軟性が増すほど、表現の自由は保障される。
これが仮説。
権力の柔軟性を定義すべきだろし、さらに権力の柔軟化の意味を問うべきだろう。
しかし、面倒なので省略して単なる感覚的用語として使う。
権力の柔軟性が、望ましいものでより平和的、民主的権力とは限らないし、残虐でないともいえない。
歴史的には、参政権の拡大とともに、権力の柔軟性が増した。実質的な参政権の制限を伴う表面的な参政権の拡大。
従って、権力の柔軟化とは、実質的な参政権の制限とセットであり、表現の自由の保障も、実質的な自由の制限とセットかもしれない。


言論の自由と「権力」について、それほど話は簡単でも単純でもないという話を蒸し返してみた。