戦争の記憶

悲惨な戦争の記憶が時とともに、風化していく。
実際に戦争を体験した人々が高齢化していく以上、当然の帰結だ。
「実際に体験した人にしかわからない体験」は、消滅する運命にある。
ある種自明なこの事実が、「あってはならないこと」にされる。
人類が、知識を蓄積してきたことは間違いない。
そのお陰で、農業、工業、商業のあらゆる分野での進歩が可能になった。
戦争の記憶が風化するかどうかは、結局この知識が「人類の知識」として「蓄積」に値するものかどうかにかかっている。
現実として、「無戦争状態」を達成できていれば、戦争体験は「生かされ」、人類は進歩したと言えるのだろうが、とてもそうとは思えない。
明らかに、平和より戦争への「強い」需要というものが存在するからだ。
戦争の記憶を後世に残したいなら、宗教的な「教え」あるいは「学問」としてしか残る道はないように思える。
結局、体験は抽象され、一般化されるしか生き延びる道は無い。