嫉妬について29

アメリカに住んでいたことがある。
仕事だ。
そのとき、ハンカチで鼻をかむアメリカ人をみて、「汚い」と感じた。
また、パンで皿に残ったソースをふき取って食べるのも何か「下品」と感じたのだ。
私は、文化に対して相対主義だと自認していたので、自分が反射的、無意識的には「日本文化」にどっぷり浸っているのが実感された。
こちらがクシャミをするたびに、「Bless you!」などといわれて途惑ったこともある。
しばらくするとさほど違和感はなくなり、逆に堂々と「汚いこと」「下品」なことをすることが出来るので、開放感さえ味わうことになる。
勿論、逆のケースもあった。
日本人のやることを「野蛮」だとか「ありえない」という反応するアメリカ人もいた。
海苔を「paper]みたいといわれ、そのあまりの不当さに唖然とした。
生活習慣の違いと言うことではある。
これは、日本人同士でもいえることで、小笠原流礼法を身に付けていいる人からみれば、「下品」や「汚い」などと認定する「ケース」は多くなると思う。
多数派が「よし」とみなすものに、「正式」とか「正統」の名を冠してそれを墨守するわけだ。
こうして、流行や時代の意匠がとりあえず決定される。
しかし、本来その根拠は存在しないので、栄枯盛衰は免れがたい。
思ったほど、短くもないが、それほどに長続きもしないものだと思う。
とりあえず、「決めて」、守りましょう。
守らない人は、とりあえず「負け」として扱う。
こうして、腕力での決着以前の段階での「勝負」を「見える化」するのだ。
これが、嫉妬の時代の「戦争」である。