原発と政局

 今回の解散含みの「政局」は、結局菅首相の退陣表明と引き換えに、小沢が矛を収める形になった。
 一方で、原発は、以前「深刻」な状況が続いている。
 この状況を一言で言えば、「非現実」的といえる。
 非現実といえば、コレはもっぱら芸術方面の用語で、明らかに今、日本の「現実」が「芸術的」であるという証拠のように思うようになった。
 極限状況で呻吟する人たちがいる一方で、予算と決定権を巡る闘争つまり権力闘争にうつつを抜かす人たちがいる。
 ここで浪費されているのは、「時間」だという人がいるがむしろ「命」だ。
 これほどの「犠牲」を払っても、上演されるのは「茶番」でしかない。

 普通であれば、茶番に賛同した政治家は、現行犯の「殺人」で直ちに逮捕、刑務所にぶち込むのが適切である。
犠牲の大きさを思えば、「死刑」判決になっても、軽いぐらいだ。
 
ところが、そうはならない。
コレは、ありえないこと「非現実」が日常化しているというなによりの証拠だろう。

我われは、犯罪者が中央政権を簒奪しているという「非現実」から「現実」に戻る道を探るべきなのだと思う。

つまり、リアリズムである。
被災した地方の県の知事や首長たちに「リアリズム」を感じたのは私だけではないと思う。
勿論、政治的手段として稚拙だとは思うが、テロリストの気持ちがわかる気がする。
思わず「天誅」とか言いたくなるのだ。