続アメリカと銃

コネティカットで小学生が銃殺された。全米は子供達の冥福を「祈った」はずだ。しかし、この「祈り」はむなしく、銃の売れ行きが良くなっただけだ。
「祈る」という事がまるで、無意味、無力と思われている。あるいは「祈り」を無視、せせら笑うかのように、事態がすすむ。
人は「祈り」、「武装」した。
まるで、「祈り」が銃殺をそそのかすようではないか。
悪魔に「さらに悪くなるようにお祈り」したら、その思いは実にあっさりと聞き遂げられたかのようだ。
「正しく」祈っていないのではないか?、「正しい」祈り方をしらないのではないか?という疑問がある。
祈りを通じさせる道があるはずだ!
呪いばかりが、通用するのは奇妙だ。

もっとも、近代は神を殺し、王を殺し、こっそりその中心に悪魔を潜ませたとすれば、当然ではある!