続アメリカと銃

「平等」あるいは「差別の撤廃」これを理想や夢として見果てぬ未来に投影する。
市民階級であれば、王侯貴族の差別的制度に、
植民地であれば、宗主国との差別的な政策からの独立を、
異民族支配なら民族自決を主張する。
階級間の差別を否定する労働運動。
差別を糾弾することは、圧倒的に「正し」く「美しい」。
現実に「差別」は存在していたし、存在しているし、存在し続けるだろう。
諦めるのではないのなら、戦うべきだ。
差別は「悪」であり、「醜い」
で戦う。永久革命
アメリカと銃の関係を考える時、インディアンとの戦い、独立戦争南北戦争を考えないわけにいかない。アメリカは、いまでも常に武装し、内戦を戦っている。国内だけでなく海外でも圧制と戦う人の味方をしているのだ。アメリカは常に民主主義をサポートする。
で、コネティカットでクリスマスを楽しみにしていた小学生達が銃殺され、銃が良く売れる。
平等と差別という概念レベルで考えるかぎり、堂々巡りで、思考停止と変わらない。
自由と束縛も似たようなものだ。
フランス革命から200年。
なんと長く思考停止状態が続いているのだろう!!