続アメリカと銃

少しおとぎ話をしてみようと思う。
それは、王殺しの話だ。
神が我々の中から一人の男を「王」として、選別した。
神に従うことは、即この王に従うことであり、この王に従うことは即神従うことである。これが「神の正義」である。これ以外に正義はない。
神は、無限である。
王は戦争をする。散財をする。重税を課す。人々は餓える。戦争に負ける。神の無限性を疑わないなら、王こそが偽者ではないのか。神が王を選んだのなら、何故このように餓えなくてはならないのか?
ここで、神の無限の前には、王といえども唯の「過ち多き一人の人」なのではないか?
そういう意味で、我々は「王」と同じなのではないか?
これを以後これを「平等」と呼ぶ。
「王」だけがが神からの特権を享受できるのではなく、誰もが王のように神からの特権を享受できる世界を目指そう。
 中世的な無限が近代的な無限に変わる。近代的な無限が平等と結びつき、王の首を切り落とす。脳の報酬系に無限への欲望が結び付けられたように思われる。
平等中毒の脳が出来上がる。