続アメリカと銃

 呼吸は、基本的に無意識に制御されている。それは、心臓のコントロールと同じだ。呼吸が面白いのは、歌とか発話などで呼吸を一部意識的にコントロールできるところだろう。
 呼吸法は意識と無意識とのモールス信号として使える可能性がある。
 豊かな世界では、ロースペックの報酬系は中毒しか生み出せない。
常にやりすぎて制御不能になる。
報酬系は、多様さに対する最大の抵抗勢力ではないかと思う。気持ちいいもの、楽しいもの、意味のあるもの、価値のあるものが、あっという間に中毒へといたる。
思考停止にいたる。
多様性に対する最大の抵抗勢力こそ、このロースペック報酬系ではないか!?
完全な思いつきではあるが、そう言う事にしてみる。
そこで、報酬系を飽和させ、機能停止させることまず重要。
中毒性のない物質で使えそうなのは、水と空気。これで報酬系を常に飽和させる。
次に、報酬系が満たされた状態で、初めて別の空間が出現する。
この空間が何なのかはわからないが、とりあえず、平等中毒から類推して多様性ということにする。
一見多様性のようで中毒でしかない多様性しかしらないのが現状だが一応新たな価値とは「多様性」であるということにしてみる。
こういう見通しで、「希望」見出す。
貧しい世界で完全に合理的であり得た報酬系には引退してもらうべきではないかと思う。
 使えるのに使えない。ゴミではないのゴミにする。今日新しいものが明日には陳腐。今年着れる服は来年は着れるけど着れなくなる世界。これが資本主義の基本性格だ。この資本主義が「豊かさ」を生み出してきた、中毒も。人も同じ。若さと新しさの周辺で一時華やぐ。上手に年を取ることができなくなり、誰もが若くなりたがる、見せたがる。アンチエージング、時間よ止まれ!
こんなことを産業革命以来200年も続けているのだ!
いい加減飽きてもいい頃だ。
 
一部の宗教的文化的エリートの認識でしかなかった「贅沢な概念」である「無常」が今や共通認識になっているのだ。