バドミントン

もはや誰も読みそうにはないが、九鬼周造の「いき」の構造』(1930)に、「野暮」についての記述がある。

そうです!
ホームランは、野暮と言いたい!
まったく、「いき」ではない。
あまり江戸町人文化を顕彰するのはどうかとは思うが、今でも日本人には通用する感覚ではないかという気がする。
スポーツは、野暮ではいけない。
野暮にならないように、スポーツを再設計するべきだろう。また、観客として見る時や、実際にスポーツする時にその重心を移動させて「野暮」なことを無視あるいは、なかったこと、あるいはため息とともに、吐き出し、「白熱」の中に戻るべきだ。