バドミントン

 分析心理学における人格の統合とバドミントンの上達をパラレルに語ろうというトンデモナイ話をでっち上げようと構想している。
 バドミントンのプレイで起きる色々な状況を分析心理学の元型同士の力関係で説明しようという魂胆である。
 バドミントンの上手な人間がまるで統合の進んだ「理想の人格者」であるかのような錯覚を創りあげることが出来れば面白かろうという趣向である。
 実は、分析心理学の本を読んで今一つよく分からなかったことが、バドミントンをやってみて分かるようになったといういくつかの経験がもとになってこんなお話を思いついたというのが正直なところだ。
 バドミントン仲間と話していて、バドミントンをやるやつは自己中が多く、心が狭く、付き合いにくいということのようだ。特にちょっと上手い程度のヤツがちょっと下手程度のヤツを小ばかにするというケースが多い。
 バドミントンの上手い奴は人格が統合されていて「理想の人格者」であるというのは、あくまでも「冗談」であるとあらかじめ断わっておきたい。
 そんなことがあるワケがない!!