バドミントン

スポーツには「神様」が多い。
そこで少しくだらないことを思いついたので少しメモ代わりに書いておく。
バドミントンの神を公理的に定義する。
公理0
バドミントンの神は存在する。
公理1
0が存在する。
公理2
神は0を21まで増やすことが出来る。
公理3
神は、0から一つずつしか増やせない。
公理4
神はー20まで減らすことが出来る。
公理5
神は0から一つずつしか減らせない。
定理1
神は、0を1に増やせる。
なぜなら、公理2により0から21まで増やせ、公理3より増やす場合1しか増えないので、神は0を1に増やせる。
定理2
神は、0を2に増やせる。公理3より明白だろう。
定理3
神は、0を21に増やせる。これも、公理3を繰り返し適用すれば明白。
定理4
神は、0をー20に減らせる。
ここで、バドミントンの勝ちと負けを定義する。
勝ちとは21まで増やすことである。
負けとは−21まで減らすことである。
定理5
神は、負けない。
仮に負けるとすると、−21になる必要があるが公理4と矛盾する。よって、神は負けない。
こうやって、適当に公理とか定理とか定義をでっち上げてみようかと思いついた。
こうして、バドミントンの「神学」を作ろうかなというアイデアです。
どうなることやら!?
どうにもならなそうではある!
心のそこから「くだらない」と思える試みではある。