生物学的妄想

 iPS細胞の話題を最近よく新聞で見かける。
色々な細胞に分化できる万能細胞ということらしい。
卵は最初一個の単細胞で、それが分裂と分化を繰り返し成体になる。
この分化の方向を制御すれば、その細胞からいかような器官(感覚器、神経系、筋肉組織、皮膚組織、白血液、赤血球、血小板その他いろいろ)でも作成できるということだろう。
一方、単細胞生物といわれる生物がいる。
たった一個の細胞でも、なかなかの機能を分化させているのだ。動けるし、口もあるし、ある種の感覚ももっている。
この二つを組み合わせると、ある生物学的妄想が浮かぶ。
つまり、「卵は、何でも出来る」である。
万能細胞といわれる細胞は、分裂や分化をしなくても、そこそこの感覚や意思をすでに持っているというものだ。
 普通、目が見えない人は感覚入力が「ゼロ」なので、仮に彼らが見たとしても、幻覚とか妄想でしかなく、脳内のデフォルト値の組み合わせを見ているだけと言う結論になる。
 しかし、上記の妄想(仮説)を適用すると、感覚入力は、まったく「ゼロ」ともいえないのではないかという疑念がぬぐいきれない。
 こう考えると、知覚と幻覚との間に、その中間的な現象の可能性が開けることになる。
 スピリッチュアルを擁護する気はさらさらないが、万能細胞に対するロマンは尽きない。
 まあ、「赤ちゃんはみんな天才」みたいなのの生物学バージョンにしか過ぎないのではあるが・・・