知覚の手段として想像力のエクササイズ覚書

今朝の思いつき。
知覚の手段としての想像力のエクササイズでは、実際はしていないが、しているかのように想像すればいいだけのことなので、各自工夫の余地があると思う。
例えば、手馴れた仕事を頭の中でシュミレーションする。趣味の水泳やピアノでもいいだろう。ゲームが好きな人ならゲームでもいい。
とにかく馴染んだことを「実際にはやらない」で頭で想像するというのは、その対比がつかみやすく、想像的知覚の使い方が際立ち把握しやすくなると思う。
それともうひとつ。
誰もが死後探索というと何かとんでもないことのような気がすると思う。
確かにとんでもないことではあるが、そのとんでもない感じの半分以上は、次の想像をすれば解消されると思う。
すなわち、知らない人、外人さん、宇宙人、初対面の人、有名人に挨拶するということを想像するということをやってみる。人間以外でももちろんいいと思う。
実際やれば、それが社会的コードに引っかかり、許容されないので、とんでもないことと分類していしまう可能性は高い。
しかし、実際想像してみれば、その不慣れゆえの引っ込み思案が解消される。
大勢の人の前で挨拶しているという想定でもいい。
何か特別のことを言うというのではなく、「こんにちは」というだけでいい。
大抵の人は「こんにちは」と答えてくれるだろう。重要なのは、そのときの相手の印象だ。さらに、そのときの自分の動揺の理由に気が付くことだ。
 相手にされない無視される恐怖、受け入れられない恐怖の強さに気が付くかもしれない。逆に、以外に受け入れられて嬉しくなるかもしれない。
これを知覚のエクササイズの時にやると割りと面白かった。
想像とはいえ、人それぞれだなと思う。意外に強面が優しかったり、愛想のいいのが薄っぺらだったりする。
何かいままでと違う拡大された知覚といった感触があった。
多分、現実に戻った時もこの拡大された知覚の効果は続くと思う。
ま、アスリートなら誰もが取り入れている普通の練習ではある。
実証済みだから安心だ。
何かの足しにと書き留めておいた。