代理戦争

誰かの代わりに、戦争をする。
戦争という命がけの一大事を代わりにやるというのは、かなり変だ。
例えば、命を養う食事。
誰かが私に代わって食事をすることなど考えられるだろうか?
もしそうしてくれたとしても、私のお腹は一向に満たされない。
個人レベルで代理というのは、かなり考えにくい。
ところが、これが裁判や戦争となると、代理の方が一般的なのではないか。
考えようによれば、スポーツなど代理戦争といえる部分がありそうだ。
代理戦争というものが厄介なのは、その代理という構造の中に、請負契約のようなものがあり、戦争当事者の判断や裁量の自由度をあらかじめ奪っているため、まるで親分の命令を忠実に実行する殺し屋のような存在になるという点がある。
殺し屋が裏切れば、その殺し屋を殺す殺し屋が雇われることになる。
だから、代理戦争で真に興味深いのは、その戦争当事者同士の殺し合いというよりは、代理されている組織と代理している組織の力関係にある。
代理戦争における色の違いよりは、同じ色でもそのグラデーションの違いの方が重要だということだ。