正直

普通の人にとって、本音と比べると建前の方が分が悪いといえる。
これが政治家ともなると、建前の方が大事になる。
建前だけで、事態を取り繕おうとして無理を重ねる。
その無理がたたって、社会的立場や命を毀損したり失ったりする。
スキャンダル。
じゃ、本音だけで通るかというとそれも無理なのは試してみるまでもない。
そんなものは、当人にさえ見れたものではないだろう。
それで、この本音と建前のバランスということになるのだが、このバランス点は矛盾を含み、常に振動していて収束しない。
存在しない幻の点なのだ。
本音と建前をうまく使い分けようとすればするほど、消耗が激しくなる。

本音というのが強制された不自由であり、みすぼらしく、うそぽっく感じられ場合がある。
一方、建前の方が夢があって、未来の自分の本当の姿を投影できると感じられる時がある。

このポピュラーな二項対立から抜け出すのは容易ではないが、本音が本音らしくなく、建前が建前でなく感じられる瞬間がチャンスだろう。
「正直」という手が浮かぶ瞬間でもある。