反実仮想

現実に反することを仮想する。
もし、彼女に優しくしていたら、今頃一緒に桜を見ているだろうに。
などと、詠嘆するときに使う語法だ。
しかし、現実には、彼女に優しくしていないので、一人でわびしく桜を見ている。
となる。
この女々しい表現を平安貴族は多用したというのが、一般の理解だろう。
実にいじましい。
我後悔せず。
もっと、前向きに考えるのが、現代的、脳科学的にも正しいなどといったりする。
ポジティブシンキングの対極が反実仮想だ。
しかし、これはあまりにも表面的理解というものだろう。
そこで、反実仮想は、後悔とか嘆きとは無縁ではないのかという大胆な仮説を立てることにする。
仮説を立てたのは、そいいった直感がまずひらめいたからだ。
まず、確定した現実は、いまさらどうしようもないと考えない。
これが反実仮想の前提ではないか。
つまり熱心に嘆き、熱心に後悔すれば、確定したと思っていた現実が別の現実に置き換わるのだ。
愛する者達との永遠の別れ。
それは、取り返しの付かない現実だ。それを嘆く、悔やむ。
熱心に正しく悔やみ、熱心に正しく嘆けば、現実が取り返せるとしたら、人は反実仮想に熱心になるのではないか?
つまり、正しく嘆いていたなら、今こんなに悲しくなかっただろうに、正しく嘆かなかなかったために、今は悲しいとなる。
反実仮想には、枝分かれする自分の運命を逆向きに辿る喜びが満ちている。
そういことだと思う。
和歌でも読もう。
新古今かなーー