神上がり

確か陰陽道で、魂が上がることを神上がりと言うと思う。
テレビで見たことがある。
神主が依頼者の女の前で、祈祷を始める。
祈祷がはじまりしばらくすると、組まれた女の人の手が自然に上に上がってくる。
これにより、浮かばれない霊が神上がりをして救われるという次第だ。
中居君の金スマだったと思うから、宗教ショーとして面白いといった程度の印象だった。
昨日までは、それでよかった。

しかし、我が身に同じことが起こるとなるとそうもいってられない。
例え、夢のなかでも。

夢といっても明晰夢だから、ますますリアルだ。

もともとは、このブログは、面白半分の精神世界散策というスタンスではあったが、宗教体験そのものに出くわすと驚く。
ディズニーランドで、本物の熊に出会うようなものだ。
もはや、面白半分とはいえない。
十分な装備のもと真剣にやらないとやられてしまう。
そういう危機感がある。

ただ、結論を先に言うと、ディズニーランドに行くにしては結局かなりの重装備だったらしく、サファリパークが愉しいように愉しかった。

では、事の顛末を書き留めておこう。

宗教的には明らかに、日本神道と関係のある建物が現れる。
上に上る階段を歩いている。
私は、上に行けば「神」に会えると知っている。
一人で初めて昇殿するのだ。
緊張しているが、取り乱してはいない。
どんなモノが出てきても、それは私の心が作り上げるものだということが分かっていたからだ。
恐怖はモンスターを作る。恐怖を鎮めれば、モンスターは消える。
それが、私にはなぜか分かっていた。
そのモノは、三回現れた。最後に現れたのは巨大な「熊」だった。
それから、場所が変わる。
古い神社だ。そこに小さな神棚がある。
白装束の信者が集まっている。
私と知人が、その最後の列に連なる。
われわれはお祈りをはじめる。
信者たちは、いつのまにか円陣を作っている。
仙人のような神主が、晴れやかに、にこやかに笑いながら、ハクシュをはじめると皆ハクシュをする。
誰かが「神上がりだ」と叫ぶ。
私は、見えるのだろうかといぶかしく思っている。
その瞬間、私の腕がひじから徐々に上に上がってくる。
まるで別の生き物のようだ。
そして上に上げられた手の先から光る粒子が上に上がっていくのが「見えた」。
私は興奮状態だったが、冷静でもあり、この祈祷が終わったあと実にさわやかに目覚めた。