超自我

超自我といえば、フロイトの用語だ。
まあ、厳しく、支配的で、とりわけ「正しい」父のことだと思えば間違いない。
不良の息子には、煙たい存在である。
不良息子がやがて父より立派な父になるといったハッピーエンドで終わるのが定番かもしれない。
滑稽とは言うまい。
しかし、不良の息子と父の物語が父の勝利で終わるとは決まっていない。
不良の息子が、不良のまま父に勝利する可能性がないことは無いのだ。
父もかっては不良息子であったのだが、余儀なく「正しい」父にならざるを得なかった。
彼は敗北した息子、打ち負かされた息子でもある。
正しさを否定することは、普通に言えば「損」な選択をすることと父には感じられる。
労多くして、報われないどころか、傷つき、苦しみだけが残る。
だから、「俺」のいうことを聞け、お前のためなのだ。
これが超自我の「正しい」論理である。
苦しみのさなかに聞けば、説得力が増そうというものだ。
父の言うことはやはり正しかったのだ。
後悔することによって、人は父になる。