超自我

正しさとか良識といわれるものの正体は、この後悔にある。
後から悔やむのだ。
あの時、別の「選択」をしていたら、別の「結果」になっただろうという想定のことだ。
テキト−に「選択」をグルーピングし、「結果」もグルーピングし、その間に相関関係を打ち立てる。そして、よりよき選択とよりよき結果を抽出する。さらに、それを現在の結果と比較し、選択の時期に遡って、「後悔」する。
「責任」の主体と所在をでっち上げる。
動的なプロセスを平均化している。
流れる川をダムで堰きとめ、小出しにしたり、洪水を起こす夢をみているようなものだ。
そういう意味で、超自我の起源は、土木工学的なものだ。
しかし、そんなこととは関係なく実際の川は流れ続けている。