責任能力

責任能力つまり罪を問えるだけの選択の余地があったかという法律的な議論だ.
精神鑑定の結果が重要な決め手になる。
弁護側、検事側双方の鑑定人が責任能力なしと鑑定すれば、「罪」は問えない。自然災害と同じく、不可抗力ということになる。
この言葉を聴くといつも不思議な気持ちになる。
それは、責任能力を正しい決断をする能力とどこかで思っているいるからだろう。
この論理でいくと、責任能力のある人は悪いことをしないので、悪いことをする人は、責任能力がないことになる。するとこの世に罪人はいないという結論になる。
正確には、責任能力とは、正しい決断をする能力ではなくて、正しい決断をする可能性のことのようだ。
正しい判断をすることが不可能か可能かを鑑定することが出来るのだろうか?
可能性を議論する以上100パーセントの精度は難しかろうと思う。そこがこの議論を主観的なものにしている。
もっと露骨にいえば、政治的なものにしている。
私は、犯罪において、犯人に選択の余地などないのではないかと思うことがある。
選択の余地を奪われ、追い込まれた結果としての犯罪というイメージだ。
こう考えると、この世に「罪」はないということになる。