既得権益

まず、市場での競争がある。
そこで消費者にウケたものが勝ち、利益を独占する。
ウケなければ、小さく生き残るか、吸収されるか、消えるしかない。
利益を独占した企業は、経済的な優位を手に入れたといえる。これにより、人、物、金のあらゆる面で優先的扱いを得ることができる。
こうした優位な地位をさらに活用して、消費者にウケる商品を開発することになる。
競争に勝つということは、それだけで特権的な地位を得ているといえる。
一方、政治的な強者というのは、別の出自を持つ。強制的な徴税権を考えればわかるが、自然的な経済配分を再分配するという性格がある。
権力の性格により、金持ちがさらに金持ちになり、貧乏人がさらに貧乏になるように再分配したり、金持ちから多くを削り貧乏人に給付する場合もある。
貧乏人の方が人数が多いので、民主的な選挙に勝つためには、給付的な政策を訴えた方が、政治権力を手に入れやすい。
だから、民主的政治においては、給付がその本質ということになる。
さて、先の経済的な勝者は、経済的な権力を独占しているが、政治的には強者ではない。一方政治的な勝者の方は、政治的な権力は独占しているが、経済的には強者ではない。
この二つの異なる権力の間で「取引」が成立する。
「賄賂」である。
これが、既得権益の本質だろう。
ここで、二つの深刻な堕落現象を指摘できる。
ひとつは、経済的勝者が、市場外的な特権を得ることによるイノベーションの衰退である。
もうひとつは、政治家による選挙民の信任に対するサボタージュである。
どちらも、社会的に非常に大きな損失を生む重罪であり、厳罰に値する。
だから、西松建設は当然つぶれればいいと思うし、それから献金をもらった政治家は、ブタ箱に叩き込むのは当然だと思う。