政治理念とベクトル

政治のリーダーには理念が必要だとよくいう。
理念を掲げ、その理念のもとに個別の政策を実行していく。
アソウには、理念がないとか、ハトヤマの理念には、中身が無いという使い方をする。
この理念に照らし合わせて、現在の位置を測定するものらしい。
政治的理念には、まるで歴史家と同じ機能を期待されている。
混迷の時代には、歴史を振り返り、それを未来に投影するという次第だ。
うまくいっているときには、誰もそんなコムズカシイことは言わないから、ゲンキンなものだと思う。
歴史を穿り返し、似た状況から「教訓」を得ようとする試みが、インテリの単なる暇つぶしか小遣い稼ぎのようにしか思えない当方としては、「理念」などと格好付けずに、もっと数学的に「ベクトル」というべきだと思う。
そういう意味で、経営理念というほうが、より「ベクトル」に近い発想だ。
ご存知と思うが、ベクトルというものには、方向と量が含まれる。
幾何学を例にとれば明快だろうが、分かりにくさもそれなりなので、料理を例にして、説明する。
旨い料理を作るという仕事がある。
では「旨い」とは、何か。
それは「甘酸っぱい」であるとしよう。
甘酸っぱいには、二つのベクトルの合成ベクトルである。甘さとすっぱさである。この異なる味の配分により達成される。
どのような手立てを用いてもいいから、最終的にこの合成ベクトルを達成できるように個別の政策をコーディネートするということになる。
このベクトルから離れれば離れるほど、引力が発生する仕組みを内臓させれば、そのうち「うまく」いくはずである。
これが、制度設計というものだろう。
実に簡単な話なのだ。