トイレで食事

大学生が周囲の視線を気にしてトイレで食事をしてるそうだ。
プライバシーを守るため最後の手段が、「トイレで食事」という現象を生むのだろう。
現代では、知らない人が、実はどんな人間かを知る必要性というものがまずある。
将来、自分と深い関係になるとすれば、なおさらだ。
そのとき、彼あるいは彼女の友達が多いか少ないかは最重要な情報だろう。
もし「お一人様」というレッテルを貼られると、思はぬ損を被る可能性が高まる。
だから、知らない人間に自分はどんな人間かを「知られない」必要性があるのだ。
これがプライバシー。
大学は、勉強をする場でもあれば、恋愛する場でもある。
当然、「トイレで食事」をすることにより、あらぬ疑いから身を守る必要がある。
毎日の食事をともにする相手に不自由しないということは、それだけでランキングが上になる。
周囲の視線とは、ランキングをする視線ともいえる。
ランキングが上なら、自由度が増し、将来の展開が容易になる。
逆に、これは大学に固有の問題という気がする。
社会に出れば、周りにいるのは、ほとんど既に知っている人ばかりなのだから。
また、面白いのは「トイレで食事」をしていること自体がばれると、学食で「お一人様」より恥ずかしいことになるのではないかと思われる。さらに、「トイレで食事」がばれるのが怖くて、昼食自体を「抜く」学生もいるようだ。昼食を抜く学生は、「かなり恥ずかしい」学生ということになる。
要するに、大勢でわいわいご昼食する>二、三人で昼食>お一人様>トイレで食事>トイレでの食事がバレル>腹が減っているのに昼食を抜くという順序構造がキャンパスで成立しているようだ。
「トイレで食事」の下には下があって、腹がへっても見栄を張って昼飯を抜くというさらに恥ずかしい輩がいるのだろう。
この見栄っ張りのいいところは、「トイレで食事」は見つかる危険がゼロではないが、腹が減っているか減っていないかは「当人」が白状しない限りバレル心配がないことだろう。
こうしてみると、内面とは見えない「トイレ」のようなものとして機能している。
しかし、無理してやり繰りをして、大勢で昼飯を食べるようセッティングするのも、相当に「恥ずかしい」ことのような気がしないでもない。