結婚しない女達

働く女性の数が専業主婦を上回ったことがニュースになったのが数年前だと思う。
専業主婦が死語になる日も近くなるのだろうと思った。
社会政策的には、女性を安い労働力として利用したいということがある。
不況のせいでますますこの傾向は進むだろう。
一方、実績さえ上げれば、性別に関係なく給料が上がる。
それが男女平等の理念にかなうからではなく、資本主義の基本法則だからだ。
正直、女の方が男より優秀であると私は思う。
特に、マネージャーとして男より優秀だろう。
そこで、女性の給料が男性の給料を上回るということが当然に起こる。
しかし、意識レベルでは、仕事の出来る「女」もいまだに専業主婦への「憧れ」を捨てきれない。
「出来る男」に「愛」されながらかわいく一生を過ごすという「憧れ」だ。
そこで、出来る女は自分より給料の多い男を捜すことになる。
しかし、男女間の給料格差が実力本位に編成されればされるほど、言い換えれば女性の仕事がその成果に応じて評価されればされるほど、自分より給料の多い男は、少なくなる。
企業としてもいかに女を安い労働力として使うかより、より投資効率よく使うかに切り替えてくる。
結果的に、いい男やいい出会いに恵まれない出来る女が、未婚のままとどまるということのようだ。
専業主夫」か全部割り勘の「恋人夫婦」といったありようが、社会的に認知されるまでは、しばらく結婚はお預けということのようだ。
過去の価値観をひきずったまま、現実の収入面の環境変化に適応できないということのようだ。
おそらく、個別の適齢期の女にとって、合理的選択が全体として合成されると「どうなんでしょう」という結果になる。
思うに、個別の意識の中に、ある種の「全体」なり「国家」なりをビルトインして、個人の合理性をフィードバック制御すれば、よさげだと思う。
これには、国家の個人へのそれなりの投資が前提になる。
言うは易く、行なうは難しではある。