自民の惨敗した理由

自民党が惨敗した。
民主党マニフェストを練り上げ、戦略的組織的に戦ったのに対して、自民党は、個人の戦いに追い込まれてしまった。
マニフェストを相手の後から発表する場合、ミート戦略を取るのが「普通」のことだ。
企業では、大手は、相手が1000円といえば、こちらも1000円でミートさせる。
後だしジャンケンなので、大抵勝てるのだ。
少なくとも、大負けはない。
何といっても政権与党なのだから、同じなら政権与党が選ばれるのが普通だからだ。
ところが、自民党はミート戦略を採用しなかった。
誰もが「アレ」と思ったに違いない。
義務教育には月26000円というなら、自民党は同じことを言えばいい。
5兆円かそこら、政権を失うことに比べればたいしたこと無い。
明らかに、国民受けする大仕事であることは明白だからだ。
自民は、何としても財源を作ればいいだけのことだ。
ところが、マニフェスト作りを役人に「丸投げ」した。
このミート戦略を決定した後に、役人に「丸投げ」するならまだわかる。
しかし、現実には、戦略策定そのものも「丸投げ」した。
自民は総体として何処までも無能な政治家集団になってしまった。

ところが、民主は、財源はあるといい、自民は財源はないという。
単純にその「差額」はどこに行ったのかと誰もが思う。
そこにはめ込まれたのが「天下り」の利権だ。
おなじみの談合や賄賂やむだな公共事業。
民主のいうことはまったく根拠のない数字ではなさそうな印象を持つ。自民のマニフェストは、「役人臭」しかしないこじんまりとしたマニフェストなのだ。

自民党は、従来の支持基盤を確保するため、民主に対するミート戦略を取れないまま、選挙に雪崩れ込んでいった。
劣勢が伝えられれば伝えられるほど、ミート戦略が取れない状況を生んだ。
勝てないと分かっていながら、勝負を挑まざるをえない状況が、玉砕やら絶叫を生む。
特攻隊である。
当人が悲壮になればなるほど、滑稽さが増大する。
それがますます状況を悪くし、結局泣きをみる、土下座する。

さて、自民は、下野する。
野党ということは、もはやミート戦略つまり後だしジャンケンは不可能どということだ。
ミート戦略は、有効ではない。
有害である。

むしろ、民主の政策と国益との矛盾を的確について、民主にミートされない政策を練り上げる必要がある。
いわゆる非価格競争である。
果たして、生き残った自民にそれだけの力が残っているのだろうか?
メンドクサイので、民主と同じにしちゃえでは、もはや勝てない。
解党の危機と背中合わせだろう。

民主党の候補者の場合、列挙されるマニフェストの中から候補者が適当にアレンジし、それを叫び続ければ、当選できるという今回の流れの方が政治家になる道としては、はるかに「楽」だ。

下野する自民としては、マニフェストをじっくり練り上げて、民主以上のチャレンジングな政治を国民に約束しなくてはならないだろう。
想像力と創造力が試される。
四年後が楽しみだ。
日本のあるべき二大政党制の定着は、この一点にかかっている。
次回は、自民の「お手並み拝見」となれば、大したものだ。