アメリカ型市場原理主義

何かといえば、悪役のアメリカ型市場原理主義のようだが、この悪役は、水戸黄門の悪代官とは、ワケが違う。
むしろ、「正しさ」そのもの。
「正義」そのものといってもいいものだ。
特に、消費者にとって、世界中から、安く、上質なものを、安定して手に入れられることができるというメリットは、計り知れない。
適正な値段を出せば、悪いものを無理やり買わされる心配はない。
国産だという理由だけでロクデモないものを買わされなくてもいいのだ。
この当たり前のことを実現してくれるのが、グローバリズムでもあれば、市場原理主義でもある。
問題は市場を通じて、適正な価格構成がなされるかどうかにかかっている。
確かに、石油が投機マネーの流入により高騰した。
適正価格とはいえない。
これで困ったのではあるが、悪いことばかりではない。
逆に高騰したのには、それなりのワケがあったのだ。
中国がどうのこうのというヤツ。
しかし、物の値段が異常に高くなれば、そのものに代わる物を何らかの仕方で調達する必要性がでてくる。
これが、代替エネルギーへの投資を促進することにもなる。
マネーゲームにもそれなりの意義がある。
今回破綻したリーマンやAIGも大いに迷惑だったのだが、その残した教訓が、市場原理主義を「原理的」に否定したとまでいえるほどのものではあるまい。
あくまでも、コップの中の嵐でしかない。
妙なナショナリズムとくっついて、ロクデモないものを買わされるのだけはやめて欲しい。