経団連の憂鬱

大企業連合である経団連は、企業活動を効率よく展開するために、企業努力もさることながら、献金を通じて政策立案にその影響力を行使した。
大企業連合の利益追求と「国益」の追求を「同一視」する環境が出来上がっていった。
この「同一視」は、自民党成立とともにあるのだから、長く続いた「現実」でもある。
これには、それなりの説得力がある。
雇用の確保、拡大である。
現在のように雇用が不安な状況下でも、「雇用の確保」のためといえば、助成金補助金や融資や金融政策や為替介入等により「経団連」寄り(発案)の政策が採用された。
不況下で自民党が少し負けても、雇用が回復すれば、何とか自民党政権は維持されて来たのだ。
この大枠自体は、今回の民主の政権奪取によってもさほど変わらない。
民主にとっても、「雇用の確保」は最重要テーマであることは自民党とかわらないのだ。
ただ、企業への政策支援による雇用の確保の優先順位が、自民と民主では異なる。
それが、憂鬱の原因だ。
ただ、これはそれほど深刻な経営環境の変化とはいえないだろう。
むしろ、民主のばら撒きは、企業の顧客である最終消費者の懐を温かくさせる。
その懐めがけて「現場」は、「新サービス」や「新商品」を開発すればよいのだ。
経団連としては、「エコポイント」をさらに拡充して「イノベーションポイント」の創設を提案すれば、成長戦略の弱い民主としては乗ってくる可能性がある。
なんてたって「雇用の創出」は企業の成長以外にありえないのだから。
自民と民主に半々ぐらい献金し、「成長戦略」を提案し続ければ、なんとかなる気がする。
昔はよかったなどと言わずに、「成長」して欲しいものだ。