マクロな視点

個々の政策に予算をつけ、それを積み上げていけば国家予算ができるというほど世の中は、甘くない。
マクロで、整合的でないと、不況対策が不況促進になるし、財政再建が財政崩壊にもなる。
ところがこのマクロな視点ほど「票」にならないものはない。
これに比べれば、北朝鮮の拉致のような外交、人権問題の方が分かりやすいというものだ。
マクロ経済の専門家が有力政治家になる可能性も極めて低い。
となると、マクロ的に正しい大枠としての財政規模というのは存在しないに等しくなる。
しかし、景気の底割れを回避しつつ、借金を返済するという難しい局面でマクロでのコンセンサスがもみくちゃにされていいはずは無い。
超党派でのコンセンサスを制定し、それについてごちゃごちゃ言わないでほしい。
経済情勢の「変化」に応じて、こまめにこのコンセンサスを修正し、補正予算でも事業の凍結でもして機動的に対応すべきだろう。
ところが、もっとも尊重すべきマクロの数字を政争の具にしているのだから恐れ入る。
マスコミにいたっては、さらにひどい。
無知ほど強いものはない。
こちゃこちゃ予算をいじくっても目先を変えているだけだと知るべきだ。
この目先が変ることを政権交代というのならば、真に必要なのは政権交代ではなく、マクロミクロ交代のような気がしてきた。