裏切り

金を貸す。
きちんと利子をつけて返す。
これを繰り返すと、借り手と貸し手の間に信頼関係が芽生える。
この人は、困った時貸してくれる。
この人はちゃんと期日までに返してくれる。
しかし、だからといって、いつまでも貸してくれるわけではないし、いつまでも返ってくるとも限らない。
ところが、信頼関係において、ある種の「永遠性」が鋳込まれているように思う。
所詮有限な人間なんだから、明日どうなるかなど誰にも分からないはずなのに、あたかも「予測」できるかのように、あるいは「確実」なように勘違いをする。
経済的関係が見かけ上、法則的な外見をもつのはこの「信頼」が前提されているからともいえる。
もし、貸した金が返ってこなかった場合、「信頼」はその根拠の薄弱さを露呈する。
あの鋼のような「信頼」が、もろくもくずれるのだから当然だろう。
信頼が崩れるとき、「裏切り」が成立する。
「裏切り」者に「死」をという時、裏返しの「信頼」の絶対性が際立つ。

事実としては、貸した金が返ってくる場合が「多い」というにすぎないのだから、騒ぐほどではないと思う。
親切は報われる場合が多い。
愛情は報われることが多い。
善意は報われることが多い。
信頼は報われ場合が多い。
思いやりは報われることが多い。
というに過ぎない。

そう思えば「裏切られた」などと大げさに騒ぐほどではない。
アンタが世間知らずで相手に期待しすぎにだけなのだ。

最近、「裏切られた」と思っていたが、そうでもないと考え直した経験があり、それを書き残すことにした。