世界はどうあるべきか?

フラッシュバックにも同じことがいえる。
なまなましく再現される記憶というのでは、生ぬるい。
傷そのもので傷の記憶をなぞるといでもいったことが起こる。
同じ恐怖、同じ不安というのでも足りない。
再現されることによって、倍化される恐怖。
フラッシュバックは、恐怖のキャリーオーバーだ。
遠い昔の傷付いた記憶が「風化」するという時とフラッシュバックには決定的違いがある。
それは、終わらない。
過去にならない。
祟られる。
呪い。
世界がどうあるべきか?を考えるとこの「恐怖」に突き当たる。
時間を越えた、不変の構造がある。
国家というものの根っこにある原風景なんだと思う。
いつもこの風景をなぞることしかできない。
傷を繰り返しなめるように。
人は変わり時代が変わっても、変わらないまま再現され続ける。
強迫反復。