僧兵

院政の創設者「白川上皇」の言葉に、
「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」
という言葉がある。
この山法師こそ武装化する宗教の別名だろう。
永遠に続くかと思われた藤原の摂関政治が、白川上皇によりピリオドを打たれる。
これは単なる政権交代とは異なる。
母系性の名残としての母方の祖父が実権を握る摂関政治から、父方の親戚が実権を握る院政への権力の移行という点が重要だろう。
女が権力の簒奪装置として機能していた摂関政治から、女は世継ぎの男の子を産む機械へと変質する。
この変化が大きい。
さらに、白川上皇は、武士を「北面の武士」として院の警護に当たらせた。
要するに、貴族の優位を確保するために、坊主の武装化に対して侍の登用によりバランスをとろうとした。
血で血を洗い、346年ぶりの死刑が復活する保元の乱の「準備」が整ったといえる。
武士が歴史の表舞台に出るまでの最大のライバルは武装化した宗教集団だ。
彼らはその武装により、国家に対して実質的な独立を果たしていたのだ。
これに対して、武士は末代まで「タタ」るという「坊主殺し」の「武勇」を期待された。
彼らは、その要請に見事に答えを出す。
時代は下るが、信長の延暦寺全山焼き討ちは、武士の本質を体現している。
国家に対して相対的に独立した「荘園」の経営が、ほとんど必然的に「私兵」の存在を要請する。
国家からの独立が、自前の軍隊の調達を必要とするのだ。
僧兵と侍とはほとんど同じ出自を持っている。
ただ、僧兵の方は、征服より自己の権益の保護を指向した点が少し異なる。
僧兵が、仏教王国を本気で指向し、「天下不武」ではなく「天下不佛」を指向したら歴史は変わったろうと思う。
領土拡張への志向が、僧兵には欠けていたのだ。
恩賞よりは、極楽浄土だったのだろう。
僧兵とはいえ、武より文をどこかで信じていた。
それが、ある種の女性性とつながっているように思う。
女性性の「政治性」といった方がいいかもしれない。

ほとんど自分にしかわからない文章になっている。
ま、覚書だからイイカ!!