小沢一郎ワンマン神話の中身

小沢一郎が、政権への影響力を増しているという論評をよく聞く。
しかし、その中身は、極めて「穏当」なものばかりであることに、拍子抜けしたというのが正直な感想だ。
暫定税率の維持とか、子ども手当ての所得制限とか何をいまさらということを「ことさら」いうところが、面白いといえば面白い。
これは、鳩山に対する「公約批判」という風当たりに対して、小沢豪腕神話を利用して「盾」となり小沢が「ドロ」を被るということだ。
これにより、鳩山はダーティー小沢に振り回される気の毒な理想主義者となり民主の「看板」をクリーンに維持できるのだ。
母親からお小遣いを一杯もらえるお坊ちゃんを国民はそれほど嫌ってはいない。
むしろ、麻生より頭のいいところが好ましいぐらいだ。
鳩山は、すごく頑張ったが最後は「大魔王」小沢に押し切られた「首相」になる。
この状況で、鳩山を自民が「責める」としても、「迫力」がない。
なぜなら、鳩山には、実質的な権限もないし、責任もないことになるからだ。
形式だけの「首相」ということ。
自民の民主公約批判は、結局的外れになってしまう。
鳩山を責め過ぎると、国民は鳩山に「同情」するというオマケまでつく。
老獪な自民がそれを見抜けぬわけも無かろうが、やはり攻めないわけにもいかないことも事実。
定石だが、有効だ。
これにより、国民との約束を「反故」にするルールを確立できたワケで、民主としては、政治的「自由度」をさほどのリスクなしに得たことになる。
柔道でいえば、「有効」ぐらいにはなる。
マスコミが小沢神話を流布させればさせるほど、小沢の「手」は、「技あり」ぐらいに昇格するだろう。
上には上がいるものだ。