悪人正機別解

「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
親鸞の言葉のなかで、最難関ということになっている。
色々な誤解を受けやすい言葉だ。
私もこの逆説的な言葉に不思議な気持ちになった一人だ。
往生というのは、極楽往生だから、「善人でさえ極楽往生する。悪人はなおさら極楽往生できる」というのだ。

さて、ここから新解釈。
極楽往生=地獄落ち」とする。
善人の全てが極楽往生できるわけではない。良かれと思って、いろいろ努力しても、結果的にうまくいかないで「悪」をなしてしまう善人がいる。こうした「善人」は、意図としては善でも結果としては「悪」なので、当然「地獄落ち」である。
よいことをしようともせず、よい結果も生まない人は悪人である。
こうした悪人も当然「地獄落ち」である。
ところが、ありがたいことに、この地獄を極楽に変えてくれる仏がいるのだ。
この仏を信じれるなら、この「極楽往生=地獄落ち」という等式を信じれるなら、当然悪人正機となる。

ところが、大抵の悪人は、この仏を、この等式を信じないものなのだ。
大抵の悪人は、自分が悪人であることを承知している。
悪は悪だと自覚している。
また、極楽往生が人生の目的でもない。

悪人正機は、ほとんどの人にとってどうでもいい「御託」でしかない。
悪人の「くせ」に、極楽往生を望むほどの身の程しらずでも、世間知らずでもないだろう。
要するに、悪人正機は、宗教オタクのオモチャ!

正解があるとするなら、地獄も極楽も「ゼロ」、「無」だということ。
0=0は、正しい式だ。
これなら、信じれる!?

宗教が無宗教と一致する。

親鸞に新教団を作る気は、なかったと思う。