負担に見合う給付というのは、一見わかりやすい議論だが・・・

減税とか給付を問題にするとき、負担ばかり増えて「損」という議論がある。
負担の少ない割りに「給付」が多いと「得」で、負担に対して「給付」が少ないと「損」と言う論調だ。
当たり前のように「主張」されている。
社会全体としての「損」とか「得」を問題にするのならまだわかるが、個人ついて常にこのバランスが達成されるべきだという主張に合理性はない。むしろ、こうした個別の合理性を追求すると「行政」自体の存在意義さえ疑わしくなる。
明らかに、常に「損」をしている多くの負担をしている人がいる一方で、明らかに「得」をしている人たちもいる。
その方が、個人のバランスシートを尊重するより、遥かに合理的なのだ。
例えば、医療費を無料化する。
当然、健康な人たちは、負担ばかりで「損」だ。
一方、病気勝ちな人は明らかに「得」だろう。
だからといって、この医療費の無料化が、馬鹿げているとはいえない。
それどころか、早期の予防効果が期待でき、総医療費の抑制になる可能性が高い。
浮いた医療費は、「健康な人」用のスポーツ振興の予算に回せる可能性が生まれる。
民主の「ばら撒き」を批判するとしたら、負担と給付の立場からではなく、全体としての合理性から議論すべきだろうと思う。