嫉妬について9

嫉妬を稀少な財をめぐる競争と定義する。
稀少な財の争奪を巡っての「仁義なき戦い」をいかに組織し、耐えられるものにするかという技術開発が要請される。
嫉妬のもつ破壊力は、そのエネルギーを制御する必要性を生む。
豊かであれば、群れる必要性はない。
群れることがなければ、相互に情報が流れないので、局所的に作用する「嫉妬」は作動しにくい。
しかし、貧しければ、群れを成し、集団になり、孤立する豊かな個人の財を奪い、他の集団の財を奪うことができる。
こうした戦いに勝利後、集団の内部では、「嫉妬」の嵐が吹き荒れる。
論功行賞の難しさとは、嫉妬の克服の難しさでもある。
集団の分裂を阻止する必要性と嫉妬の解消とがトレードオフの関係にあるからだ。
財の分配はどう分配しても、「嫉妬」を呼び覚ます。
全ての構成員に「平等」に分配する場合、構成員の勝利への貢献度は考慮されなので、貢献度が大きい者ほどこの分配方法に不満をもつだろう。
特にろくに働いていないのに同じ分配を受けたものには、貢献度の高いものは「嫉妬」を感じるだろう。当然、思いを同じくするものは再分配を要求する。要求が通らなければ、集団は分裂の危機を迎える。
では、貢献度に応じて「分配」すれば、どうなるか?
仮に「妥当な貢献度」の尺度があったとする。
一見「合理的分配」だが、何度か戦いを経過するにしたがって、嫉妬するものとされるものが固定化される。別な意味で、集団は分裂の危機をはらむのだ。勿論、指揮は低くなる。
戦いに勝ち続ければ、「嫉妬の嵐」はとりあえず顕在化はしない。
しかし、敗北あるいは劣勢が続けば、嫉妬の嵐が吹き荒れるとみていい。
嫉妬が堂々としていた時代というものがある。
それは戦国時代だ。力こそが「正義」。
ところが、力が「正義」ではなくなってから、「嫉妬」は表舞台からさ去った。
「嫉妬」は歴史的に無意識界に追放され、そこで「女王」として君臨することになる。
「大奥」が成立したのだ。
そういう「お話」を思いついた。