嫉妬について11

人が欲しがるものには、いろいろある。
人が欲しがるものを「所有」している人に、我々は嫉妬する。
嫉妬は、他人が「所有」することが、正しくないと感じる。
自分が所有することこそ正しいと感じる。
しかも、自分の「所有」を嫉妬により「同様に」侵害されると正しくないと感じるのだ。
つまり、自分の嫉妬は正しく、他人の嫉妬は容認できない。
したがって、より多くを所有する物は、嫉妬を悪として断罪する傾向が強くなり、より少なく所有するものあるいは何も所有しないものは、嫉妬を正しいと思う傾向がつよくなる。
嫉妬と所有は反比例関係にあるのだろうか?
自分の所有する領土を自力で防衛できない領主には、その領土を「所有」する正当性がないという戦国時代において、嫉妬するものに「力」があれば、所有権は彼の物だ。もはやこれを嫉妬とは呼ばない。領土的野心だろう。完全に正当化されている。「お互い様」だからだ。
これが、嫉妬の黄金時代。
領土だろうが財宝だろうが女だろうが、みんな力づくで解決される。
ある意味、誰も何も安定して「所有」していない時代といえる。
力が全ての世界は、不安定だ。
いつ闇討ちにあってもおかしくない。
しかし、徐々に所有するものと所有しないものとの固定化が起こる。
天下は統一され、平和になる。
嫉妬は、地下にもぐり、その姿を変える。