嫉妬について19

「楽」後の宝樹院は、家光の側室で、四代将軍家綱の生母である。
彼女の出世は、ある意味秀吉をしのぐ。
栃木県の「農民」の娘である。
しかも、父は、禁猟とされていた鶴を撃ったため死罪になっている。
父の死後、母は江戸へ出て古河藩主の屋敷に仕え、女中頭となり、古着商の七沢清宗と再婚。
楽も母と同居していた。
13歳の時に店の手伝いをしていた楽は、浅草参りから帰ってきた春日局の目にとまり、大奥に上がったという説がある。
楽が「呉服の間」だった頃、他の奥女中たちに故郷の麦搗き歌を歌っていた。
これを家光が耳にして気に入り、楽は家光の側室となったといわれている。
呉服の間とは、大奥お目見え女中の中で最下級の身分に属する。
1641年に家綱を産む。
将軍後継者を産んだため、弟たちは、三河国西尾藩主、下野国烏山藩主、妹は今川氏真の孫品川高如の妻となる。
慶安4年(1651年)に家光に先立たれた翌年、32歳で死去。(wikより抜粋)
「下克上」が、大奥で健在であることが理解できる。