嫉妬について20

さらに、大奥は続く。
夏こと順性院は、家光の側室。甲府宰相の生母。6代将軍徳川家宣の祖母になった人だ。
父は京都の町人の弥市郎と言い、娘の夏が家光の子を出産したことで士分に出世、はじめ岡部八左衛門重家、のち藤枝重家と改名した。
夏は家光の正室・鷹司孝子付の女中で「御末」という将軍お目見え以下の最下級の役職だった。
将軍が大奥で入浴する際に世話をする「御湯殿」を任せられ、その際家光の手がつき懐妊する。
夏が懐妊した年はちょうど家光の厄年で、産まれてくる子に災厄がかからないようにと姉の千姫と相談し、千姫を夏の子の養母とすることを決める。
やがて夏は千姫の住居である竹橋御殿へと移り、そこで男児を出産。後の甲府宰相である。
家光が死去すると、夏は落飾して順性院と名乗る。
順性院は1683年9月19日、この世を去った。
順性院の死から26年経って5代将軍綱吉が嗣子無く、徳川綱重の子である家宣が将軍になった。
夏の孫だ。
また、家宣の子で夏の曾孫に当たる徳川家継も7代将軍に就任している。
家宣の実弟松平清武は後年、館林藩主となり甥の家継を補佐することになる。
実家の藤枝家は4500石の旗本として順性院の死後も存続したが、1785年に藤枝教行が遊女・綾衣と餌指の家で心中した事が露見し改易処分となった。
wikより抜粋
華麗なる一族だ。