嫉妬について27

男が腕力で勝負を決める。
この「腕力」というと「筋力」と混同しそうだが、自分の才能や日ごろの鍛錬、新規技術の導入、相手に対する情報戦も含まれる高度な戦いでありえる。
まして、集団同士の喧嘩となれば、それは組織された「文化」でありえる。
そうした総合的な力を「腕力」へと具体化させるばかりでなく、「勝ち」という結果を出す必要がある。
だから、「腕力」に秀でるものが、全てを支配することに説得力があるのだ。
なにより、相手を殲滅させるのだから、結果が「客観的」である点は重要だろう。
「より強い」というのは、客観的でありえるが、より「美しい」という勝負は、なかなか客観的ではあり得ない。
まして、「相性」がいいとなると訳が分からない。
ところが、江戸の歴史は、このより客観的とは言いがたい方向にすすんだのだ。
同じことだが、美しさをより客観的なものにする方向、白黒はっきりさせる方向に進んだように思う。
こうした仮説を強化してくれる例を少し探そうかと思う。