嫉妬について32

「嫉妬する自分は、最低で弱く醜い人間だと思う。」
と書いた。
嫉妬する人間は、人の失敗を笑う。
しかし、失敗した人間をみて「笑う」ことが「同情」することより、よりマシで、強く、見苦しくないとはいえない。
まして、マトモな人間なら「本来」そうあるべきだとか「正しい」ともいえない。
「笑うことも」「かわいそうね」ということも、似たようなものだからだ。
むしろ、同情が「嫉妬」の「隠蔽」であるとするなら、「同情」は「嫉妬」より「悪性」といえなくもない。
ここで「隠蔽」を「秘密」へと接続すると、嫉妬と「秘密」との関係が明らかになる。
「秘密」とは、まず「秘密の存在」の「秘密」だと思う。
「秘密がある」とわからないようにすることが、「秘密」の本質だといいたい。
「秘密」は、もともと存在しないかのように「努力」しているのだ。
あらゆる正当化、理性そのものがこの努力の効果といえなくもない。
「嫉妬」もまた、「嫉妬」が存在しないかのごとく努力する。
人類に「下半身」が無ければ、自分のことを簡単に天使だと思うだろうと確か偉い人が言ったような気がする。
つまりそういうことだ。

次に、嫉妬と「自由」、「平等」、「絶対」との関係を明らかにしたい。



しかし、それにしても、私は「嫉妬」を「解明」できているのかな??
懐疑の地獄!