嫉妬について34

近代の話の前に、身分制が嫉妬に対してどう対処しているかを見る必要がある。
おそらく「治世」にとって、「嫉妬」を適正規模にコントロールすることがもっとも重要だと思う。
まず、「実力」のある人間を「上」に引き上げる必要がある。
これが、テクノクラートと大奥の中では「実力」がモノを言った理由である。
一方、下克上から平和に移行するプロセスで、下々の大半の「出世」の夢を身分制の中に閉じ込める必要がある。
生まれた階層によって、出世の夢の上限を決めてしまうのだ。
嫉妬に「運命」という帽子を被せる。
自由が制限されればされるほど、「嫉妬」はその栄養分を奪われ、荒唐無稽な「空想」に変化するからだ。
「五穀豊穣」とか「無病息災」ぐらいが「望み」として妥当なところになる。

めでたさも中位なりおらが春 一茶

この一句に全てが表現されている。
夢と諦念の絶妙なバランスが「実現」しているのだ。
つまり「安定」である。